物の見方を変えるデッサン

物の見方が変わったというご意見ご感想を頂き、いつもありがたく思います。

いつでもどんな時も常に学びたいという生徒さんの真剣な気持ちが、デッサンを通じて、気づきに変化したのだと思います。

「学び、気づく」この過程は、デッサンに限らず、あらゆる分野で体験できると思います。それを人は本能的に分かっているのと同時に、

常に欲しているのではないでしょうか。そのきっかけ、入り口が「好き」ということだったり、興味事だったりするのだと思います。

 

デッサンにおいては、まさに目の前の対象を直接観察し、描きながら対象を更に理解することで、描写力が磨かれていきます。

また、反復することによって、体系的に、理論的に更に、深く広く学ぶことができます。

 

そして、デッサンは、現代のデジタル化に反してとても地道な作業となりますが、時代にあった形で、常に求められていることは確かです。

なぜでしょうか?観る、描く、この人間の性とも言える欲求とそれを伴う文化的活動が、何万年も続く理由はなんなのでしょうか?

 

この地道で原始的な作業によって得られるデッサン力を突き詰めていくと、二つの側面に挟まれていることに気付かされます。

A 一つは、描きたい、再現したいという欲求と追求心と共に

デッサンを学ぶことで、描写力の恒常はもちろんのこと、普段の見方では気づけていないことを再発見でき、さらには、洞察力や新しい考え方につながる可能性がある。

B もう一つは、「デッサン力」は、「描写力」と共にエンターテインメントの中でも重要な「演出」「見せ方」の基礎になっている。

ということです。

 

この双方は相容れない性質かも知れません。そして、学ぶタイミングや年齢によってどちらの側面を求めるかが変わってくるのかもしれません。